Saturday, April 11, 2009

私の思い出(わたしのおもいで)

春に私の高校のにわでさくらがたくさん開花した。でもこうこう四年生の時の前に毎年きれいな花が注目しなかった。だぶん、あの時に私は春のはなのいみがわからなかった。十六歳ぐらいの少年は落花の悲しさがわかる理由がなかった。
でも四年生のとしにさくらをみてからきもちがわるくならった。あのまえの夏に私は九歳にはじめて中国へかえった。あのなつに私はお爺さんと住んでいた。
お爺さんは学問がすごいひとだ。あの時、お爺さんは八十歳でも毎朝早く起きてから本を読んだり文章を書いたりした。私はお爺さんの静かな生活を変えた。昼ごはんをたべったときお爺さんといつも中国のバイチュウを一杯飲んだ。それから中国語の漢詩についてはなした。
あの時の前に中国の詩を読んだことがあっても、おぼえても漢詩のいみがぜんぜんわからなかった。
中国の詩にさくらがあまりなくても中国の詩人もはるのはなについて話した。漢詩にらっかが人生はみじかいとシンボライズする。毎日お爺さんの生活を見ていてとしを取っひとでも学生のわたしより頑張って勉強したと思いた。私は爺さんに聞いた。お爺さんは年をとった人も習うことがあると説いた。
アメリカへかえった時私のせいかつも変えた。それから頑張って勉強した。わたしのおもいではこうこうの庭にあるさくらをみてはじめてらっかのかなしさがわかった時だった。

1 comment:

  1. 六郎さん、
    私は十八歳のまえにおじいちゃんといっしゅうにすんでいました。おじいちゃんも中国語の漢詩がすきでした。毎朝一枚を読みました。でも、教えてくれませんでした。おじいちゃんは一番チェスが好きでした、そして時間があったら、私と遊びました。時々ベキン大学で遊びました、あそこは花はずいぶん綺麗でした。。。

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